- ■ 宇宙では民主的ではいられない (2003/10/15)
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中国の有人宇宙飛行のニュースに対し、日本もぜひ!という声が聞こえてこないのは健全なことだと思いますが、それでもやはり、一度、きちんと考えてみるべきではないのかと思います。
人類は宇宙に行かねばならないのか? 行って何をするのか? と。
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20世紀の宇宙開発競争は国威発揚しか目的がなかったように思うのですが、今回の中国の発想はそこから逃れていないもののように思います。
宇宙開発のように巨大な資金と高度な技術を必要とする事業は、現在、進められているように、国際協力で進めるべきだと思います。宇宙空間は特定の国家によって独占されてはなりませんから。
- ■ 衆議院解散 (2003/10/08)
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つまり、争点があるから選挙を行うのではなくて、選挙をするから争点を探している、みたいな気がして、それって逆じゃないのかと思ってるわけです。
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選挙って、政治家は燃えるのかも知れないけど、圧倒的大多数の有権者にとっては、どうして、この時期に、何を明らかにするために行われるのかがはっきりしないと、選挙のための選挙にしかならず、「かったるい」と思われてしまうだけのような気がします。
そうすると投票率が下がるでしょうから、与党には有利かも知れません。
案外、それが与党の狙いだったりして。
- ■ 何のための指摘か (2003/10/01)
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重箱の隅をつっついて何かに反対することは比較的簡単なことですが、それがどういう視点に立ったものであり、ではどうすれば改善されるかを提案可能かということを常に考えながら、自他の行動を見つめていたいと思っています。
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万年野党ってすごく楽なのですよね。だって自分が責任をとることを心配せずに「反対!」って叫んでいればいいのですから。誰も何も言っていないところに最初に意見を出すことのほうが、それに反対することより何倍も労力がいるんですよね。
個人的には「揚げ足取り」ってうまいのですが(って全く自慢になりませんが)、私は反対意見を出すときは可能な限り代替の選択肢を提示することを心がけています。そうでないと単なる不平屋でしかなくなりますから。
- ■ There cannot be real peace without justice (2003/09/24)
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信頼は、常に一貫した言動をとることと、そこから外れた際の自己修復能力を見せ続けることでしか得られないと思います。
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現在の日本社会での最大の問題は不景気なんかじゃなくて、それによる社会に対する信頼の崩壊であると私は思ってます。不景気というのは経済的な現象なわけで、早い話、金回りがよくなれば解決するものです。
でも社会に対する信頼の崩壊はちょっとやそっとでは回復しません。
真っ当なことが真っ当に行われない、真っ当に行われないことが放置されるということは、長期的に危険だと思います。
- ■ 鼓腹撃壌 (2003/09/10)
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6つめの記事を訳しつつ、ひょっとして先進国民は鼓腹撃壌しているおじいさんになりつつあるのかな、と思ってしまうのでありました。
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慈悲深い君主による民衆のための政治と、腐敗した民主主義による政治とどちらかがよりましか、という議論がありますが、私は、民衆1人1人の力による自己浄化の可能性を信じると言う一点で後者を支持します。
前者は、確かに民衆の生活にとってはよいのかも知れませんが、自分の生殺与奪が他人に握られ、しかもその他人(ここでは君主)が豹変しないとも限らないわけで、自分の運命を切り開く責任を他人に転嫁するしかないという一点で非難されるべきだろうと考えてます。
…民衆の多くが前者を望んだ場合、とっても困ったことにはなりますが。
- ■ イスラムと西洋 (2003/09/03)
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「イスラム」と「民主主義」とを別々に検討しどちらかがどちらかを包含しうるかという立論ではなく、それらを貫く共通の−「普遍的」であるかはともかく−基盤を模索することから始め、欧米側にもイスラム側にも納得できる(少なくとも許容できる)解が見つかれば、互いの不信に寄る緊張度は低下すると思うのです。
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いくら合衆国の横暴さや「帝国主義」的振る舞いを難じたところで、またイスラム原理主義の過激な言動を難じたところで、どちらも「自分のほうが正しい」と思って行動しているのだから、どちらかに軍配をあげるような方法では最終的に落ち着かないと思うのです。
結局、どちらもが承認せざるをえないようなロジックを準備するという方向にしか希望はないと思うし、そういう平和貢献もありかなと思っています。
- ■ 総選挙 (2003/08/27)
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日本では選挙が普通に行われることなどそれこそ「普通のこと」なのでしょうけれど、その結果が十分に民意を反映しているとも思われないのは、別の意味で重大な問題を抱えているなと最近強く感じます。
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選挙で物事を決めるというのは、「有権者は賢明な判断をする」ということと、「その決定にはたとえ反対した側も従う」という民主主義の建前があるわけですが、そういうことをきちんと認識した上で決定が行われているかというと、どうもそうは思えない日本の状況。ここんとこずっと、「民主主義とは何か」ってことを考えているんですが、そのあるべき姿と現実との乖離が日に日に大きくなっていっているようで、とっても危惧しています。
- ■ テロが歴史を変えないために (2003/08/20)
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テロによって事態が変化し、何かが行われなくなったり方針変更されたりすることは、そのテロを起こした目的が達成されたことになって、結局、「テロには効果がある」という事実が残ってしまうためです。
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現在の住居である賃貸マンションはCATV対応で、当然のごとく契約していろいろと番組を見てるんですが、欠かさず毎日見ているのは、『銀河英雄伝説』というアニメです。これは私の学生のころにはやったSFをアニメ化したものなのですが、単なるアニメというだけでなく、民主主義とは何か、国家とは何か、歴史とは何かということを考えさせられる内容なのです。「テロが歴史を動かすことはない」というのは、その主人公の一人ヤン・ウェンリーのせりふでもあるんです。
テロは起きないことに越したことはありませんが、起こってしまったテロが意味を持たないようにしなければ、結局テロの効果を増大させてしまうわけで、涙を呑んでそれを乗り越えなくてはなりません。
- ■ 抑止力 (2003/08/13)
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もともと(自国への攻撃に対する)抑止力とは、相互の不信と恐怖の均衡によって成立するものです。それを取り除くことが、より本質的な戦争への抑止力となると私は思います。
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日本の核武装を日本で論じている人たちの主張を聞いていると、朝鮮半島の緊迫を理由にあげるのですが、「今日の一言」で触れたようなところまで踏み込んでいるようには見えません。結局、雰囲気だけでもものを言っているような気がします。
核を持つとは−しかも抑止力という理由で核を持つとは−、軍事的に意味があるのか、ということのほかに、彼我双方が核兵器の被害にあってもかまわないとする覚悟と狂気を是認するということだという認識があまりにも薄いと思います。
- ■ 台風 (2003/08/06)
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日本では、その年になって何番目に発生したかで名前がつけられていますが、国際的な命名方法が2000年に定められ、それに従うと、Etau(アータウ;嵐雲)ということになります。その名の通り、強い雨と風を伴っている台風です。
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合衆国では、以前からサイクロンに対し、アルファベット順で女性の名前で呼んでいました。「キャサリン」というハリケーンなら、「ハリケーン3号」と言ったところでしょうか。けれども、「どうして女性の名前しかないんだ!」という抗議を受けて、男性名もその名前のリストに付け加えられました。
けれども、やはり人の名前ですと、仮に甚大な被害をもたらせた場合その名前を持つ人はいい思いをしないということもあったんでしょうね。そんなこんなで台風の名前リストは少しずつ代わっていってるのです。
それにしても今回の台風はゆっくりと日本全土を縦断したために、近年にしては大きな被害をもたらしました。残念です。
- ■ 余裕 (2003/07/30)
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自分の席についた私は、「なんでこう、オバチャンは集団になると周囲の状況が見えなくなるんだろう?」と思いつつも、ひょっとして自分が以前よりも気持ちに余裕がなくなったのだろうかという気もして、ちょっと考え込んでしまいました。
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オバチャンの集団については、駅とかでも、自分たちの気になる表示を見つけると、人の流れもなんのその、とつぜん立ち止まって動こうとしません。
なんでこうなんでしょうね。
で、自分が同じようなことしてないか心配ではありますが。
- ■ 合衆国はドミノがお好き (2003/07/23)
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“それにしても気の毒なのはイラクの民間人だ。彼らが最終的に「解放される」までには、これからまだずっと多くの苦しみを経験することになるだろう。”
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合衆国はイラクの民衆を「解放」するためにイラクを攻撃したはずですが、本当にそれは望ましい結果だったのでしょうか。
10年ほど前に冷戦が終わったときに、アレキサンドル・ジノヴィエフという作家が「東欧の『民主化』と騒いでいるが、それは水の中で泳いでいる魚に、水の中にいるから大変だからと傘を与えるようなものだ」という趣旨のことを言っていたことを思い出します。違うところに住んでいる者にとっては不都合極まりない生活が、そこではあたりまえであり、そこから引きずり出すことが本当にその人たちのためになるのか、いやむしろ、そうやって手を指し伸べたがる人間の側の満足を得るための行動ではないのかという指摘でもあります。
本当のところ、どうなんでしょうか。
- ■ 「あなたが世界を変える日」 (2003/07/16)
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“どうやって直すのか わからないものを、こわしつづけるのは もうやめてください。”
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本当は、引用した本の最後の箇所のほうがショッキングというか、大人として「キツイなぁ」という言葉なんですよ。
“父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。
しかしあなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。
あなたたちはいつも私たちを愛しているといいます。
しかし、いわせてください。
その言葉がほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動でしめしてください。”
- ■「犯人」さがし (2003/07/09)
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周囲の環境が無関係だとは言いませんが、容疑者の少年の詳細なプロファイリングを行ったところで、それが適用可能なのは本人に対してで、同じようなプロファイルを持つ少年が同じような犯行に及ぶなんてことは断言できるはずがないんですから。
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こういう事件が起こると、よくワイドショーなんかで、「少年を犯罪に至らしめた社会が悪い」とか「学校教育が悪い」とか発言する「評論家」を見かけるのですが、もし本気で「社会が悪い」と思うのなら、紛れもなくその社会の一部・一員である発言者自身が、いったいどのようにして責任を取るのか言ってみろ、と言いたくなってしまいます。
第3者から見るととても悲惨な環境に置かれても、けなげに楽しく生きている人もいるし、満ち溢れた環境で生活していても犯罪に手を染める人もいるわけだから、どんな犯罪だって、その犯人の行為自体が悪いのだと思うのですが。原因はあくまで本人の中にしかなくって、それ以外のものは、それを助長した縁でしかない。それを逆転して捉えて論評してるような気がします。
- ■比較優位説 (2003/07/02)
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リカードの比較優位説(比較生産費説)的な発想に従えば、ECOSOCの要請を先進国は受け入れるべきですが、なんだか、これに反対すると「自分の国の農業を守るために途上国の農業従事者の生活が貧しいままでいいのかい?」と聞かれているようでなんだか居心地の悪い問ですね。
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開発途上国の人々の生活改善に関する発言を、先進国にいる人が先進国にいるままで発言しても、説得力を全然持たないのは、先進国における1人の消費するエネルギーだの食糧だのその他で、途上国10人以上の生活をまかなえたりするからです。
「資本主義反対!」と叫ぶ人が資本主義社会にどっぷり使って、資本主義社会でないと生活できないのと同様の矛盾を感じます。。
- ■国境を越えるということ (2003/06/25)
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車内から(ちょうど高速道路に入るときにチケットをわたすような感じで)パスポートをかざすだけで通り過ぎていく光景を目の当たりにして、国境というものに対する感覚が、他国と海で隔てられた国と陸続きの国とではこうも違うものなのだなぁと感じ入った次第です。
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ヨーロッパ中央部にいると、地平線が見えるわけではないけど、見渡す限りうねうねと畑が続くという光景を見続けることになります。特に陸路で国境を超えるために街と街の間を走ってると、果てしないのですよねぇ。
で、視界をさえぎるのは森。その切れ目にゲートがあって、そのこっちと向こう側で言葉や制度がまるで違う。
…ふむむ。やっぱり島国の人間には理解しがたい光景だなぁ。
- ■「外国語を聞いているみたい」 (2003/06/11)
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観光で旅行に行く国の言葉をいちいち習得しようとするほうが変わってる、とも言われるのですが、言葉というものには、その言葉を利用する人々の文化や伝統やそういうものを反映した構造というか考え方がほのかに感じられて、感心しながら勉強してます。ただ、とても出発までに間に合いそうにないのが少し(?)問題ですが。
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ハンガリー語とかチェコ語とかを勉強するのは大変ですぅ。
配偶者が次に行きたいと言っているギリシャとかポーランドはもっと輪をかけて難しくなりそうですぅ。
- ■vita activa (2003/06/04)
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凹むような仕事であっても、それも「人間の条件」なのだと感じることができるのであれば、たとえその仕事から離れても、充足感は残るのではないかと思います。
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よく会社で「休みは何をするの?」と聞かれると議論になってしまいます。
というのは、私にとって「休み」というのは「何もしない(活動を停止する)」ことを意味するのに対し、同僚にとっては「仕事をしない」ということを意味するからです。
私の生活の全体から見れば、休日に映画を見るのも旅行に行くのも、それは「活動」の一種であって、その1つに仕事があるという位置づけという意識でいるので、「仕事をしない」=「休み」とはならないのです。
上記の等式が成り立つっていうことは、仕事をすることが自分にとってメインの生活の部分であって「休み」はそれ以外の時間ということになりますよね? それって私は変だと思ってます。
だから私には概念上、「余暇」なんてありません。寝てる時間以外は、何かしてるんですから。
- ■「安全宣言」 (2003/05/28)
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…というわけで、「安全宣言」を出されても、結局、普段の健康管理とうがいや手洗いの励行などで自衛するしかなさそうですね。
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結局、日本人のSARS感染者は今のところ発表されていないわけですが、それが感染者が本当に0であることを意味するのか、いるんだけれども確認しただけなのか、確認したんだけれども公式に認めてないだけなのか、釈然
としないものがありますね。
なんか、こう、日本の場合、現在、世界的には沈静化してますから、ほとぼりがさめてから「実は…」なんて感じで厚生労働省が発表しそうな気がしてならないのですが。
- ■有罪答弁 (2003/05/21)
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今日の記事で当初私自身がよく理解できなかったのが9つ目の記事の guilty plea という用語です。直訳すると「有罪の申し立て」なのですが、それを被告の側がするのは、素人考えではどうもおかしいと思い、調べてみたところ、日本の裁判にはない、「有罪答弁」という概念がこれにあたるようです。
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司法取引という概念は、日本人にとって「変なもの」であるかも知れません。
「悪いヤツは懲らしめろ」というのが基本の発想なのでしょう。けれども、人を罰することよりも、何が行われたのかを明らかにすることが優先される場合には有効であると言えます。
たぶん、外国の方が「遠山の金さん」を見たら、その司法感覚をズレに驚くと思うのですよ。この番組では、中立であるべき裁判官が、検察を兼ねて捜査してますからね。
結局、その国の文化とか伝統とかって、その国の司法制度に影響を与えるんですねぇ。
- ■shades of Rwanda (2003/05/14)
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もちろん民兵組織同士の衝突や、兵士による非戦闘員の殺戮もあったのですが、それまで人を殺したことのない人、医師や判事など教育を受けた人までもが虐殺に参加したり、避難場所となるべき教会・病院・学校までもが虐殺の現場となってしまったとの報告もあります。
今、コンゴ民主共和国で起こっていることはそのようなことなのです。
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日本ではほとんど報道されてないような気がするのですが、やはり日本にとっては物理的にも心理的にも遠い国なのでしょうか、コンゴ民主共和国は。
ニュースの本文を読む限りでは、近隣の者同士でも殺しあっているような記述があります。「ご近所さん」を殺す感覚というのは全然想像もできないし、また、そういう心情を感じたくもないですが、近所に住む人が、「共に棲む人々」ではなく、単なる「近くにいる人」に過ぎなかったと言うことでしょうか。
それともそういう感覚すら吹き飛ぶくらいの恐怖(「殺さなきゃ殺される」という強迫観念)が蔓延してしまったのでしょうか。
- ■紛争解決の心理学 (2003/05/07)
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しかし、一般に、紛争当事者同士を和解させる方法として、共同で何かをするというほかに、一方が他方に何かをしてあげる(ということを繰り返す)ことは有効であるという指摘が、紛争解決の心理学の観点から指摘されています。
私は、このクウェートの決断を英断とみたいと思います。
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まあ、クウェートにはそれくらい財政的に余裕があるって言ってしまえば身も蓋もないんですがね。
よく日本では「対話による解決を」といわれるんですけど、対話による交渉がうまくいかなくて武力衝突になってしまった場合や、きっかけはどうあれ、既に戦闘が繰り返されて双方に犠牲者が出てしまっている場合に、再び「対話によく解決」に戻すための方策が論じられていないのが現状ではないでしょうか。
日本で言えば、幕末に薩長が同盟を結ぶきっかけが米と武器との交換であったように、経済的なつながりでもいいんです。相手のために何か(敢えて「利益になること」と言っていいでしょう)をすることの繰り返しが事態を好転させることがありうるし、他に有効な方法がないなら、こっちのほうが、憎しみあってにらみ合うより望ましいと言えるでしょう。
- ■中東和平ロードマップ (2003/04/30)
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確かに文書を読むと、誰がいつまでに何をするのかがかなり明確に書かれています。後はこれを実行するだけです。ただし、これが最も難しいのでしょうけれども。
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…とロードマップが発表された次の日には、またイスラエルによる攻撃が
あったりして、本当に道は遠いです。
「話し合いによる解決」と日本ではよく簡単に口にされますが、実際に紛
争地で殺しあった相手と「対話」が成立するためには、よほどの努力がない
と困難であることは想像に難くありません。
おそらく、双方が紛争に疲れてしまったか、双方に扮装を乗り越えてでも
達成しなければならない共通の目的が準備された場合に限るのでしょうが、
イスラエル=パレスチナではまだそれが達成されていないような気がします。
- ■充分に検討せずに悪ときめつける性急さ(2003/04/24)
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“充分に検討せずに悪ときめつける性急さは、傲慢と怠惰のあらわれである。
人は罪人を見つけようと欲して、罪状を検討する労を厭うのである。”
(ラ・ロシュフコー箴言集 267)
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相変わらず、イラクでは大量破壊兵器が見つからないんですが、どう「オトシマエ」をつけるつもりなんでしょうか。「ごめん」じゃすまないし、英米も「ごめん」と言いそうもないし、イラクも「ごめん」と言われても「しかたないね」じゃすまない。
イラク戦争だけじゃなく、ラ・ロシュフコーが指摘しているようなことは世の中に頻繁に起こってますね。「本当にそいつが悪いことをしたのか」という吟味の前に、「アイツは悪いやつだ」という認識があって、「悪いやつだから悪いことをやってるに違いない」と決めつけてしまう、という。
- ■「やられたら やりかえせ」か?/紛争解決のモード(2003/04/17 2003/04/23)
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他人が紛争(けんか)をしていたら「対話で解決を」と普段言っている人が、自分の子どもがいじめられた時に「どうして、やられたらやり返さないの?」なんて言っているようでは、その言葉の重みはありません。
自分の近親者が攻撃を受けたのなら、怒るのも反撃するのも当然だと思うのであれば、そこには対話の余地はないし、他人が攻撃を受けて怒っているのをみて「対話で解決を」なんて言うのは矛盾でしょう。
-
実際には、(日本では)自分の子どもには「どうして、やられたらやり返さないの?」って言ってしまう親が多いそうです。そういえば私も小さい時に泣かされて家に帰ったとき、「1回くらいやり返して来い」って言われて、その通りやり返してきたことがあったそうです。(母親談。本人にはその記憶なし)
で、それ以降、泣かされて帰ってこなくなったそうです。
「やられたらやり返せ」というのが、一般の民衆の感覚なのだとしたら実はいろんな水準の紛争解決ってすごく難しくなると思うのですよ。「自分の子どもだけは別」という論理も、「自分の○○だけは別」という拡張にもほんの一飛びだと思いますし。
- ■Manifest Destiny(2003/04/16)
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合衆国は歴史上初めて社会契約的に出来上がった国であり、過去と伝統を共有する人たちの集合ではなく、未来を共有しようと人たちの集合によって形成されている/されてきた国であるとみなしてよいと私は考えています。
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合衆国には「隠れた国教」があるという指摘がなされています。プロテスタントを基本にしたキリスト教をマイルドにしたもの、という感じでしょう。大統領就任式はミサの形式ですし、裁判の際にも聖書を片手に宣誓します。
宗教的右派は共和党の一大支持勢力ですし。
特定の宗教団体がそれを指示するというのではないのですが、あの国(の指導層)が持っている使命感には宗教的なものを感じますね。やっぱり。
- ■この戦争は終わることができるのか?(2003/04/09)
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確かに英米が中心となってイラク全土にわたって攻撃をしている側が首都を制圧し圧倒的な力量の差で進撃してはいるのですが、戦闘における勝利がそのまま戦争における勝利とはなりません。
なんらかの形で当事者同士が停戦協定を締結しない限り、戦争は終わったことになりません。
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通常(…という言い方も変なのですが)、戦争するのは国軍が、諸外国が認めた交戦団体です。そうでない者の戦闘行為は単なるテロというか、「非戦闘員を装った背信行為」になってしまいます。
最初は国軍が戦っていたのだから、その最高責任者か、その正統な後継とみなせる存在が「まいった」といわないと、戦争は終わったことにならない。法規上そうだというだけでなく、攻められた側も「まだギブアップしてない!」といつまでも反攻活動を続けることは不可能ではないでしょう。だからとってもやっかいなことになるんじゃないかなと思うんです。
- ■ヒュブリスの行く末(2003/04/02)
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“かくも情け容赦なく、力はこれを所有する、あるいは所有していると思っているものを陶酔させる。力をほんとうに所有するものなどいない。”
S.ヴェイユ 『イリアス』 あるいは力の詩篇
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力を行使している(と思っている者)は、実はその力の虜になってしまっており、力に依存し、力がなくては存在し得ない、自分の立場を維持しえなくなり、力の行使のために力を維持する、またはその逆に力を維持するためだけに力を行使するという自己目的化に陥ります。そして力によって滅ぶのでしょう。
アメリカ(だけではないですが)に、どこまでの健全性があるかによって、このさき、大変なことがおこるかも知れません。
- ■大声を出すのは(2003/03/26)
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“大声を出すのは寂しいからである。これはイヌと同様、人間についても真実である。”
(E.ホッファー 『魂の錬金術』)
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真実を、正義を語るのであれば、別に大声である必要はない。正しくて誰もが納得できるような話なら、たとえ朴訥であっても淡々と語れば伝わるはず。だいたい、大勢の前でがなり立てて何かが伝わるとは思えない。独りなのに大声を出しているなら、なおさら、でしょう。
- ■アメリカ・ジャイアン・アル=カポネ(2003/03/24)
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ラムズフェルド国防長官がイラク情勢について、ある人物の言葉を引用してこんなことを発言していたと書いていました。
「優しい言葉だけより、優しい言葉と銃を一緒に使うほうが多くを手にできる」
この発言、禁酒法時代のシカゴで名を馳せたアル=カポネの言葉だそうです。
そうか、アメリカってギャングだったんだ!
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なぁんか昔のヤクザものの映画で、「ここはひとつ、なかよくしましょうや」とドスやチャカをかざしながら相手に迫ってるような感じですよね。ニュースウィークにはいつのどの会合での発言かは明記されてませんでしたけど、今のアメリカなら、また超タカ派のラムズフェルド国防長官なら言い出しかねない(いや、言ってしまった)ですね。
その傲慢がアメリカを蝕む時がやがてくるのかも知れません。
- ■捕虜の扱い(2003/03/23)
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しかしながら、相手は異なるのですが、合衆国はタリバン兵士の投降者などに対し「捕虜ではない」として、この第3条約における保護は適用されないと主張しているわけで、自分の都合のいいときに自分の都合のいいものを適用するなぁと思ってしまいます。
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合衆国ってのは、頭に「ずる」がつくくらい賢いんですよねぇ。
自分を擁護する論理ならすぐにどこからともなく見つけてきて来る。
けど同じ論理で論駁しても認めない。なんとかならんのか、この国は。
- ■合衆国が戦争をやめるとき(2003/03/19)
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合衆国に戦争をやめさせたかったら、日本で政府や合衆国大使館にデモをしかけるよりは、合衆国国民に対して、その世論を変えさせる(いろんな世論調査では合衆国ではブッシュ支持が優勢)戦術を考えたほうが効果的なのではないでしょうか。
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こんなことを言ってはいけないのかも知れないけど、日本でいくら反戦運動を展開しても、それは「反戦運動へ参加した!」という自己満足に終わるんじゃないかという気がしていまして。
意味がない、というのではなくて、実際に戦闘行動をやめさせるまでにたどり着くのに必要な段階があまりにも多く、自分の行動が意味を持つまでに事態が収拾されてしまうのじゃないか、と。
合衆国と言う国は、自国の世論が賛成しないと戦争を始められないし、終わらせられない国だという認識が私にはあります。だから本気でブッシュを止めるには、テキサス州あたりで反戦活動を盛り上げないとだめなのかな、などと最近、考えています。
- ■War is always a catastrophe.(2003/03/17)
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「戦争は常にカタストロフィーである。」
"War is always a catastrophe."
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日本政府(というか、小泉首相個人)は合衆国の行動を支持する発言をしました。けれどもそれは意見の表明でしかなくて、とても国民に対する説明だとはいえないものです。
百万歩くらい譲って、合衆国の行動を是認するとしても、例えば、今、イラクを徹底的に無力化しておかないと日本にどういう不利益が発生するのか、それによりどういう影響が日本国民に起こるのか、採りうる選択肢のうち、それぞれがどういうメリット・デメリットがあり、なぜこの選択肢にしたのかを明らかにしてほしいものです。
- ■"George W. Queeg"(2003/03/16)
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この、戦争にむけたブッシュ政権の動きを、14日付のニューヨークタイムズで、MITのP.クルーグマン教授が、 "George W. Queeg" と題して、もはや、現政府は現実の認識を過ち、ブッシュ大統領は「この仕事をするのに適さない("Mr. Bush is the wrong man to do the job.")」と見られていると非難しています。
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上記のクルーグマン教授は経済学が専門ですので、「もっと国内でやらなきゃいけないこといっぱいあるのに、戦争にしか目がいっていない」というのが全体の趣旨ではあるんですが。クルーグマン氏の文章は結構面白くって嫌味が利いてて、くすっと笑えるところがあります。
そんなことはさておき。
確かにクルーグマン氏がクィーグ艦長と例えたとおり、自分の見た(見たい、というのが正確かも)世界以外の見方を排除し、それに固執し、それを貫き通そうとし、しかも悪いことにそれを実行する権限を持っている人間を止めるということは容易ではありません。
子ブッシュを止める何かいい手立てはないものでしょうか。
このままでは、朝鮮半島でも同じことが起こります。
- ■Murder shows warlords still rule in Serbia.(2003/03/12)
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これを境に民族主義的な動きが活発になり、再びこの地域が不安定化する危険もあり、予断を許さない状況であります。
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ワシントンポストでは、この暗殺に対し、「バルカン半島におけるアメリカの最強の同盟者を失った」みたいなことを書いています。
実はセルビアには(というより正確にはコソボには)バルカン半島で最大の米軍基地(これも正確にはほとんど実力で居座っている感じだけど)があって、セルビアには親米政権がないと困るのですよね。合衆国にとっては。それを快く思わない勢力の陰謀ではなかろうか、というかんぐりもしてしまいますが。。。
とにかくジンジッチ氏の冥福とこの地の平和を祈ります。
- ■旧ユーゴスラビア・マケドニア共和国の「平和」(2003/03/05)
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さて、自分の国が紛争に直面したとき、「泣き寝入りしたら沽券に関わる」と介入していくのか、それとも、国際的な体面はともかく、とにかく紛争を回避して「平和」を確保するのか。旧ユーゴスラビア・マケドニア共和国の振る舞いを通して考えてみてはいかがでしょうか。
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グリゴロフ大統領は非武装・非暴力の思想を貫いて、何をされても無抵抗で貫き通したというのではなくて、「ここで意地張って反発しても敵わないのだから、下手に手を出すより紛争をマケドニアに持ち込まないようにしたい」という一心でとった行動だったのだというのが、実に微妙なところではあります。
実際、国民の中にはグリゴロフ大統領の方針が気に食わず、暗殺未遂事件すら起こっています。
けれども、在任期間中は、あの旧ユーゴの地域で紛争に国民を巻き込まなかったのは事実です。
実は、この「一言」を読んで、メールを下さった読者(マケドニアに詳しい方)が、「ボスニアやセルビア、コソボなどの状況に比べるとものすごく平和的な感じを受けました。まだまだ、大丈夫、未来が明るい、といったかんじです。」と状況を知らせていただきました。
国是だの国の威信だのといったものを守るのは、ある意味、美しく見えることもあるのでしょうが、それよりも、国民の生命と財産を守る行動をとったグリゴロフ元大統領の行動は日本にとって示唆的だと思います。
- ■言質(2003/02/26)
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皆さんも自分にとって喜ばしいことを誰かが口に出したとき、それを実行してほしかったら「○○さんが△△と言ったことを歓迎します」と公表してみれば?
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題名の「言質」なんですが、実はこれを私の周りでは読めない人が結構いました。正しくは「げんしち」または「げんち」なのですが、「人質」からの連想なのか、「ことしち」と読んでしまう人が多いです。関西人だと「しち」ではなく「ひち」と発音する人も多いですが。
それはさておき。
世界的に影響があるアクターが(「俳優」じゃなくて「行動する主体」という意味ですが)自分の行為ではなく、他者の行為(に関する宣言)に対して賞賛や歓迎の意を表明するということは、「お墨付き」の意味も発生するし、本文でも触れたように「じゃあや〜めた」と言いにくくなるようにしているといえるでしょう。
国連はそれをかなり戦術的にうまく利用しているな、という気がします。
- ■翻訳(2003/02/19)
-
私もこういうことを初めから知っているわけではないので、英語を見てあわてて調べて翻訳してるのでありました。実は結構、毎回冷や汗もので配信しているのですよ、これでも。
-
SUNだけじゃなく、私の個人のWeb Pageを見ている人は、どうも、私を「何でも知っている人」とでも思っているフシを感じます。こちらは、当然ながら知っていること+調べて自分が理解したことしか書かないし書けないんですけどね。
インターネットってこういうときにすごく役に立つんですよね。特に用語が専門的になればなるほど、それなりの専門的な機関が作っているWebに載っていたりしますから。
専門的な訳語は、Google(http://www.google.co.jp)で、検索するときにわざと英語で入れて、日本語で検索すると、正式な訳語が出てくるってわけです。
- ■引き伸ばされた20世紀(2003/02/12)
-
そして次のような疑念が私の頭を離れません。
実は「革命と戦争の世紀」はまだ終わっていなかったのではないか?
合衆国によって20世紀は引き伸ばされているのではないか?
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最近、ずっと「戦争」というものについて考えてまして。
そもそも昨年のアフガニスタンへの攻撃、少し前のコソボへの空爆…あれは「戦争」だったんだろうか、そして今回のイラクへの攻撃、これは果たして「戦争」なんだろうか、と。
「戦争」という、国またはそれに準ずる交戦団体相互の戦闘ですらないんじゃないのか、と。第2次世界大戦以前の用語で言えば、アウトレンジ戦法(相手の砲弾の射程距離よりも長い射程の砲塔を装備した軍艦で、相手の弾が届かない距離から一方的に攻撃する戦法)みたいなことをやってる。今回は、対空砲火の届かない高高度からの爆撃が主流だもの。(もちろん地上戦がなかったわけじゃないけど)
20世紀前半までなら、戦争に負けた側は完全に勝った側の言い分に従ったものだが(それが「仁義」だったような気がする)、それ以降はそれが成り立たず、戦闘は行われ、人は多く亡くなり傷つくものの、それを解決するために戦争が発生した国際紛争のもとは解決しないまま、なのではないのかということです。
- ■「国際連盟の失敗」(2003/02/05)
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ある個人なる組織なりが、自分の発した言葉の通りに行動できないのであれば、信頼に値しない、組織であれば機能しないものとなってしまうものではありますが、まだ国連が「攻撃する」と言ったわけではないだろうに、と思ってしまいます。
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現在の合衆国の閣僚のなかで、一番の「ハト」派だとみなされてきたパウエル国務長官が、結構カゲキにイラクを非難してます。個人的な心変わりなのか、やはり国策(というか大統領の判断)にしたがって、やはり「やると言ったらやる」という姿勢なのでしょうか。
安保理決議なしでも合衆国はイラク攻撃を始めてしまいそうな気がしてなりません。
- ■いい宇宙船員の条件 3部作(2003/02/03)
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「勝手に死ねない」という意識は実はとっても重要なんじゃないかなと思います。たとえどこへ何をしに行くのだとしても、確実にそこでの行動を終えて、必ず生きて帰ってくる。そもそも死ぬための、または死んでもいい、なんて行動はとらない。
#当然ながら「勝手に殺す」のももってのほか。
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「必ず帰る」というのは、危ないときに逃げ帰ってくるという消極的な意味ではなくて、積極的にそういう危険が発生しないようにあらゆる対処を行った結果として安全に帰ってくる、ということだと思いたいですね。
「帰るべきところ」があることで無茶はできなくなるのかも知れないけど、守るべきものを持った時、人間は強くなれるもんだと思う今日この頃なのでした。
- ■『博士の異常な愛情』(2003/01/29)
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相互不信と一部の人間の思い込みと国家に忠誠を尽くす人々と、あとほんの少しの偶然が合わさればおそろしい結果を招く…という警告にも見えますね、この映画。そしておそらくその警告は今でも成り立つから、今見ても「面白い」のだと思います。
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核戦争というのは、必ずしも意図したものでない危険があるというのは遥か以前から指摘されていました。 "unintended nuclear war" とか "uncontroled nuclear attack" と呼ばれるものです。これは人的ミス(命令者・作業者の精神的異常を含む)や、命令伝達のミス、システムエラー(機械的な故障、コンピュータシステムのバグなど)で、核保有国の指導者たちが意図していないにも関わらず核攻撃が始まってしまい、そしてそれがとめられないような状況を指します。
で、この手のシステムでは、たとえ人間が死に絶えても、核による攻撃には自動的に反撃する(しかも保有する核兵器を打ちつくす状態−これを Armageddon mode といいますが−になる)ので、この映画の通りの結果になってしまいます。
このようなことを防ぐ手段は何重にも講じられているはずですが、すべての想定される可能性をかいくぐって起こる確率を絶対的に0にすることはできません。
実は、世界中の人間は核のダモクレスの剣の下にいるんですが。。。
- ■『戦争倫理学』(2003/01/22)
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個人的な好み(?)から言えば、彼が導き出す結論に対しては全面的に賛成しかねることが多少あるのですが、問題を設定し、論理を組み立て、結論を導き出す過程については、何が問題(にするべき)で、考えるポイントや参考となる文献はどこにあるかを指摘してくれる点において、わりと重宝しています。
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まあ、書いたとおりなのですが、文体のクセというか、「どうだ、わかったか」みたいな感じがする文章がちょっぴりイヤなんですけどね。
ただ、加藤氏は日本の倫理学分野における重鎮の一人であるのは確実ですが、社会の様々な問題に対して最も積極的に自分の立論を表明している一人でもあるのも確かです。「こういう問題もあるぞ、どうだ難しいだろう」みたいなところで終わらず、自分の視座とその論拠を示すという点においては、その結論を受け入れるかはともかく、賞賛に値すると私は思ってます。
「武力行使は絶対だめだ!」と言う人には、もし一方的に攻撃を受けた場合でも座して抵抗せず殺されるのかと問わねばならないし、「オレは戦争をしたいんだ! 戦争とは人間の暴力への欲望を開放する祝祭だ!」と言う人には「すべての犯罪を認めることと何が違うのだ」と問わねばならない…というところから話が始まるんですが、確かに、きちんと考えるべき問題なのですね。「駄目なもんはだめ!」ではそうは思ってない連中にとっては何の説得力も持たないわけですから。
- ■義務教育無償化(2003/01/15)
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教科書の内容や採択をめぐっての大騒ぎと比較してさほど大きな扱いをされていないのは、いったいなぜなのでしょう?
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確かに義務教育の無償化は、発展途上の国で特に将来の世代のために教育を普及させる時期には必要なのでしょう。ただし国民の大多数がそこそこの生活水準になって、義務教育以外に学習塾に言ったりその他教育費への出費に比較して教科書が安価なのならば、もはや無償でなくてもいいのではないかという議論も存在します。
仮に教科書が有償化になっても、その金額は年額で数千円のオーダーでしょうから、月額数万円も本を買う私にとっては問題ない範囲ではあるんですがね。
教育を受ける権利という観点から導入された教科書の無償化なのですが、日本においてはその役割を終えているんでしょうか。みなさんはどう思われますか?
- ■no "smoking gun"(2003/01/08)
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英語−米語というべきかも知れませんが−に接していると、さすがに銃社会だなぁと思われる表現にでくわすことがあります。
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やはり言語というのは、その社会の歴史や伝統や基本的なものの見方を反映しているわけで、うまく日本語にならない言葉ってよくあるんですよね。専門用語はともかく、よく耳にする単語で独特の使い方をする言葉がときおり出てくるんです。
例えばある国に制裁を加えようと物資の禁輸を行ったり、空爆をしたりした場合、本来はその国の政治的指導者による支配の被害者(と制裁を加える側がみなしている)である一般国民まで巻き添えをくってしまいます。そうではなくて、本当に制裁を加えたい政治指導者にのみ対象を絞った「攻撃」のことを "smart" であると言ったりします。ふむむ。表現としてわからなくもないですが、非英語人にとってはなんともいいようのない違和感が。
p.s.
核の問題ってけっこういつでも実態ははっきりしないので、この状況をさして私は
Nuclear is unclear !
などと揶揄したりします。
- ■正月(2003/01/01)
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年末の餅つきの際−ちなみに我が家ではきちんと杵と臼でつくんです。
餅つき機は蒸してこねているだけなので、私は断固として餅「つき」とは認めません−には実家に姉一家が帰ってきて2人の甥がお年玉をもらうまで我が家にいるのが通例だったのですが、今年は上の甥が年賀状配達のアルバイトを始めたのと、義兄の仕事が年始からあるのとで来ていないので、久しぶりに(財布にとっても)平穏な年末年始をすごしています。
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とかなんとか言っていると、やっぱり姉が甥を連れてきてしまった。年玉だけをもらいに来たというのが見え見え。でも来たらあげないわけにもいかんしなぁ。困ったもんだ。