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Title : SUN Stuffs

SUNスタッフの紹介

 こんなメンバーが事務局スタッフとしてSUNの運営に携わっています。
 情報が古くなってますが、そのへんは大目にみてください。m(_ _)m


Tat

Tat

 ともかく貧乏だった学生時代、「やっぱ、世の中カネでしょう。」と痛感し、YOSHIとおなじく大学時代は財務会計を専攻。イノシシ年の猪突猛進型、非常にシンプルな性格のため、勉強やるならとことんやろうと思い、よせばいいのに時代遅れのストイックな生活を。1ヶ月2万8千円の風呂なしアパートに兄と同居し、夜中ねずみに起こされながら思ったこと、それは「オレは世界のどこにいっても生きていける」という自信と生命力。

 実務では金融を専門に。カネのプロになってからのテーマは「貧困撲滅」。飢餓に苦しむ人、紛争で家族を失い号泣する人の姿に「この人たちのために、何かできないのか?」と涙。彼らの貧困は、豊かな日本で生まれ育った自分には想像を絶するレベル。そして自分のかつての貧乏には自分の力で這い上がる自由があった。彼らにはその自由さえないではないか、、、。カネが世に在るというなら、まさにこの人たちのために使うべきではないか!と、現実社会の不条理に怒りを覚えながら、自分の専門であるビジネスや財務の知識も、使い方次第で世界の貧困撲滅に役立たないか、、、と模索。そして今の関心は「国連とビジネス」。

 縁あって現在は財務専門家として開発援助プログラムに従事し、ニューヨーク在住。地の利を生かしながら日本人が世界と国連の現状を知る助けになればと祈りながらSUNに関与させていただいています。

 Those whom much is given, much is required. 多くを与えられた者は多くを要求される。日本でもニューヨークでも多くの機会に恵まれた分、困っている人のために働きぬく。自己の限界と現実の困難に挑戦する心を忘れずに、一日一日を大切に生きてゆきたいと思います。

(Updated : 2002/07/03)


阿部 勝人

Abe

 以前は火曜日分の翻訳を担当していましたが、仕事がどうも忙しくて6月からは木曜日分を担当しています。国連本部のあるニューヨークの時間(米国東部時間)で「木曜日」というのは、日本では金曜日になりますから、「木曜日」の出来事をまとめることができるのは金曜日の夜か土曜日の朝になります。普通は金曜日の仕事を終えると「ホッと一息」というところですが、私の場合は、SUNの翻訳・配信を終えてはじめて「一息」つくという感じです。

 普段は某シンクタンクに勤務し経済政策の分析に追われる毎日ですが、ライフワークは「日本政治」。司馬遼太郎風に言えば「この国のかたち」に関心を持ちつづける34歳です。それがどうして「国連」かと言われそうですが、1)国家エゴのぶつかり合う国際政治の舞台「国連」、2)「国境」と「人権」との間で苦悩する「国連」、3)「人類の議会」という希望を担う「国連」、について考えるということは、取りも直さず「国家」というものの本質を焙り出す作業に他なりません。「国」というものを外から眺めてみて、はじめて、21世紀の「この国のかたち」が見えてくるような気がするのです。

 SUNの取り組みを始めた経緯等については、聖教新聞(11月6日付7面)に寄稿しましたので、一読いただければ幸いです。

 個人宛てメールは katsuto@issue.net
 事務局宛てメールは sun@issue.net までどうぞ。

(Updated : 1999/11/15)


山本

Shige

 山本です。奈良県在住です。大学の先輩である、呼びかけ人の阿部さんから呼びかけがあって、以前から国際情勢とかに興味があったこともあって、参加するようになりました(実は理学部数学科の出身だったりします。)。
 ブログを更新しているのは、特記されてない限り私です。

 専門的に国際関係論や国際政治学などを学んだわけでもないし、語学もバリバリにできるわけでもないのに、「安保理決議」の概要まで配信してしまっています。時折意味不明な翻訳を垂れ流してしまうかも知れませんが、そのときはご指摘ください。

 そうそう、2000年末の年次総会(?)で事務局長に指名されてしまいました。

(Updated : 2006/04/03)

☆ ☆ ☆

 実はひそかに山本@SUNのページが存在します。
 こまめにSUNのページをチェックしている人は気づいたかも知れませんが、日々のニュースに茶々を入れている、裏SUNブログ対応版を2008年初頭から始めました。

(Updated : 2008/01/07)


KENICHI

kei

 解説委員 Jo さんの紹介で翻訳担当になりました。私はフランス語が好きなのですが、なかなかフランス語を読む機会を作ることができませんでした。今回、このような形でフランス語を読む機会を得られたこと、そして人のためになる活動ができることを嬉しく思います。

 普段はあるところで経済学を教えています。学部時代は憲法のゼミにいましたが、ある試験を受けたことがきっかけで経済学が好きになり、大学院は経済学研究科に進みました。もともと人にものを教えるのが好きで、経済学も好きなので、『好きこそ物の上手なれ』というわけで、経済学を人に教えるようになりました。いつも経済学や経済の本質をわかりやすく伝えるよう努力、工夫しています。

 "Cool head and Warm heart"(冷静な頭脳と温かい心)をモットーにしています。これは経済学者A.マーシャルの言葉です。冷静な頭脳をもって現実を直視し、温かい心で理想を追求したいと思っています。また、「冷静な頭脳と温かい心を持ち、社会的苦悩を克服するために、自らの最善の能力をすすんで捧げようとする人びとの数を1人でも多くする」というマーシャルと同じ思いで教え子たちに接しています。

(Updated : 2004/MM/DD)


けい

kei

ということで、ようやく自己紹介を書いております。SUN担当者では初めての「ひらがな」HNのけいです。

 英国の大学院で紛争解決をやっている頃に偶然 SUN に巡りあって、読んでいたのが2年ほど前。まさか自分がこうして Staff になるとは思っていなかったので、本当に世界は狭いなぁと思いました。日本にいるときから、国連、特に人道的干渉について研究していまして、在英時にやっていたのは、「人道的な危機状況」において国連はどうやって一般市民を守ることができるのかというテーマでした。

 しかしながら、研究で行き詰まり、失意のまま帰国。以前から片手間でやっていたウェブ制作の道に現在はどっぷり浸かってしまいました。ホームページ制作からデザイン、プログラムなどある意味なんでも屋なのですが、こうして「国連」と「ウェブ」の両方に関係した分野に携わることができて本当に良かったなぁと思っています。

 インターネット、とりわけウェブとは1995年頃からのつきあいになるのですが(あのころはインターネットエクスプローラーなんて影も形もなく、モジラというものしかなかった…)、ここ数年、本当にウェブが情報収集ツールとして使えるようになってきたと思います。そしてこれからは溢れかえる情報の波の中で有益なものを探し当てなければならない時代になるのでしょう。既になっているかも知れませんが。

 そうした中で、少しでも有益な情報を配信していけたらと思っていますので、どうかよろしくお願いします。後、ホームページ制作・リニューアル・cgi・データベースなどでお悩みの方は是非ご相談下さいませ(笑)

(Updated : 2002/11/06)


Jo

Jo

 SUNのホームページを見て「こんな形で、国連の支援ができるなんて」と感激して、参加させてもらいました。かつて大学院で専攻していた国際法の知識を活かすことができてとてもうれしいです。SUNでは、主にデイリーの配信記事や安保理決議の内容についての法的アドバイスや、主に平和・安全の問題分野についての解説記事を担当します。

 国連憲章の前文は、「われら連合国の人民は」という主語で始まり、「われらの努力を結集することに決定した」と謳い、「よって、われらの各自の政府は、サンフランシスコ市に会合し〜ここに国際連合という国際機構を設ける」として、1条以下の条文を始めています。

 この規定は、国連が主権国家の集合体であると同時に、加盟国の主権者意思によって創設されたことを明示しており、今日、現実に、様々なNGOを通した支援の枠組みが国連じたいに内包されています。国際法は、「国家間の法である」とはいえ、その国家の行動を監視し、意思決定していくのは、所詮、加盟国の市民ひとりひとりであるということに注意を喚起し、まさにその手段としてSUNを大いに活用していただければ幸いに思います。

(Updated : 1999/12/16)


大谷

Otani

 今年(1999年)6月、2年間のアメリカ留学を終えて帰ってきました。
 幼い頃から本の虫だった私は、読書を通して戦争や社会の中にある矛盾などについて考えるようになり、漠然と「社会のために役に立つ仕事がしたい」と思うようになりました。その「社会」がいつしか「国際社会」となり、高校時代には、明確に国連職員になりたいと決めていました。
 そして、某大学国際関係法学科に入学。ところが、大学で国連や国際政治の現実を学ぶうちに、ふくらみきっていた夢はしぼむというかはじけてしまいました。目的を見失い、足元から何か始めようと、地元市役所のボランティア・センターを通じて身障者の施設やキャンプなどでのボランティア活動に飛び込んだ大学2年の夏。その後、まずは1つの分野で専門的な知識とスキルを身につけようと思いたち、司法試験の受験を決意。弁護士になってからは様々な事件を扱ってきましたが、次第に人権問題、中でも人権教育に本格的に取組みたいという思いが募り、7年続けた弁護士業をいったん休んで国際人権問題を専門的に勉強するため、アメリカの某大学院に留学。留学中にSUNのスタッフたちと知り合い、その趣旨に惹かれて参加させてもらいました。私が扱っている国際人権という分野は、国連の活動とは切っても切れない関係にあります。そのため留学中は国連研究にも励み、また国連の人権活動に対する理解を少しでも深めようと、国連人権高等弁務官事務所でのインターンも経験させていただきました。

 SUNの活動に賛同した理由の1つには、国際人権の分野でも、重要な国連文書があまり日本語で紹介されておらず、日本語での情報提供、あるいは英語が読める方には必要な国連文書の入手の方法を知ってもらうことの重要性・必要性を痛感していたということがあります。私の夢の1つは、SUNでもいつか、人権関係のコラムを発展させて国際人権用語の解説をしたり、国連が出している「ファクト・シート・シリーズ」という人権問題のブックレットや、国連の子ども向け人権教育のページを日本語に翻訳してUPするなどの試みに取組みたいというものです。

 最後に私のプライベートな自己紹介を若干。夫と娘が2人(7歳と5歳)の4人家族。現在34歳。趣味は読書と映画、料理。それから趣味と実用を兼ねて、もう何年もフランス語の習得に励んでいますが、なかなかビギナーの域から先に進めず、苦しんでいます。

(Updated : 1999/12/27)


Yoshi

I'm YOSHI.

 このところというか、いつも貧乏暇なしで、阿部さんから遠回しに急かされながら、ようやく自己紹介を書くことができました。私は日本の某大学で財務会計を専攻し、その後、ニューヨークの某大学院修士課程で計量経済を専攻し、現在はニューヨーク市内でデジタル出版の仕事をしています。仕事でも翻訳をすることが多いのですが、内容はハイテク業界や金融業界の話が多く、国連に関係ある話も時々出てきます。

 当初、というか今でもそうなんですが、国連職員になるというのは、確かに自分のキャリア目標の選択肢の一つとしてあります。しかし、SUNに関わるようになってから、キャリア目標としての国連職員よりも、さまざまな問題に対する国連職員としてのコミットメントが大事であり、さらには一般市民、世界市民のボランティア精神が一番重要なのではないかと考えるようになりました。そして、自分の中でボランティア精神を育む意味でSUNから大きな恩恵を受けていると思っています。

 SUNを読んでおりますと、国連が取り組まなくてもいいと言えるようなものはなさそうで、一般企業や一般市民との連携なくして現代の問題は解決できないというのが国連のスタンスであり、今後、その傾向はますます強くなっていくような気がします。その意味で、すべての人はすでに国連の一員であると考えても全く差し支えなく、むしろ、そのような意識を持つことが大事なのではないかとも思えます。

 また、国連60周年記念のNGO総会に参加した折り、参加者は子どもから高齢者まで年齢層が広く、意外にも敷居が高くないと感じました。国連自身の官僚的な体制や国家間の利害関係から派生する問題はありますが、実のところ、国連はオープンであろうと努力しており、逆に敷居を高くしているのは、個々人の意識であったり、国の取り組みの弱さであったり、メディアの報道姿勢であったりするのかもしれません。

 今後、インターネットの普及やさまざまな人の取り組みで、SUNなど足下にも及ばないような国連に関するタイムリーで有用な情報が増えていって欲しいと念願しますし、さらに日本人のコミットメントが世界に誇れるようになったら、どんなに素晴らしいかと思います。

(Updated : 1999/11/15)


渡辺

Watanabe

 時のたつのは早いもので、高校を卒業し渡米してから10数年になってしまいました。もうすぐ海外での生活の方が長くなりそうで、日本語もかなりあやしくなってまいりました。「この前、おいしいお饅頭を食べて、あごが落ちそうなった」などと真面目な顔をして言った後に「あご…って落ちましたっけ?」と互いに顔を見合わせるという光景が頻繁に起こります。

 現在は、ニューヨーク市のBRONX 、ユダヤのご老人が多くを占める地域に住んでいます。アパートの方々は、人なつっこい方が大半で、腕にホロコーストの刻印を残す生存者のおばあちゃまもいます。「ユダヤ人は、一生懸命働いて幸せな生活をおくりたいだけなのに、何故こんなにも迫害されなければならないの」とアパート備えつけのコインラインドリーで一緒に洗濯していた妻に聞いていたといいます。

 BRONXは、犯罪が多いというイメージがあるせいか、人によっては、得意のステレオ・タイプで「何でそんな危ない所に」などというのですが、場所によってさまざま。まさに数ブロック歩いただけで、人種も、町の雰因気も全く変わって今います。週末には、敬虔なユダヤの人々が黒い衣装を纏いシナゴーグへとご家族で談笑しながら歩いていかれるほのぼのとした姿が目につきます。また、晴天の日にハドソン川の切り立った高い岩場からジョージ・ワシントン・ブリッジを背に沈む夕日は、まさに格別で、ニューヨークの別の顔を見せてくれます。

 SUNの翻訳を担当させていただくようになって思うことは、国連もやはり人で決まると言う事。国連内部の現状に幻滅する人が多ければ多いほど、すばらしい思想と哲学を持った高潔な若き人材が日本から世界からニューヨーク本部へ、アフリカの地の果てへ、またアジアの国々へ、陸続と雄飛すべきであると感じています。

(Updated : 1999/11/30)


Updated : 2008/01/07