【ルワンダ国際刑事裁判所】
前回の旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)に引き続いて、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)の概要について解説します。
ICTRも、自らのHP( http://www.ictr.org/ )において、その訴訟手続を公開しており、この記事は、ここに掲示されるFactSheet及び日本国内で発表された研究文献によって構成されています。
- ■任務と管轄
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ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR:The International Criminal Tribunal for Rwanda)は、1994年1月1日から1994年12月31日までの間に、ルワンダ領域内で行われたジェノサイド及びその他の国際人道法の重大違反について責任を有する個人を訴追するために設立された。裁判所は、同期間に隣国領域で同様の犯罪を犯したルワンダ市民の訴追も扱うことができる。
- ※<事項管轄>
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ICTRの適用法規は、国際慣習法として成熟しているとされる、「集団殺害罪(ジェノサイド)」、「人道に対する罪」、そして、未確立である「戦争犠牲者保護ジュネーブ条約共通3条」、および、「非国際的武力紛争の犠牲者保護に関する第二議定書」の違反。
旧ユーゴ裁判所との違いは、国際慣習法に必ずしもこだわらず、罪刑法定主義を緩和して、内戦に関する国際法規を含む点。
- (1)「ジェノサイド罪」(裁判所規程2条)
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通常、特定集団の全部または一部を破壊する意図をもって虐殺が行われる場合には、必ず公権力の組織的介入が推測され、その同じ公権力が支配を続けるかぎりは、犯罪者の処罰ができない。
具体的にルワンダで行われた虐殺は、ハビリマーナ大統領の政党系列の「千の丘自由ラジオ・テレビ」を通じて、ツチ族に対する憎悪をかきたてる煽動によって、実行を促された。
ラジオは、ツチ族を繰り返し「ゴキブリ」と蔑称し、アフロ・ビートを伴った「ゴキブリをたたき殺せ」というメッセージを農村の隅々まで流した。素朴なフツ族農民が男も女も子どもたちも村をあげて、近くのツチ族めがけて農作業用のナタをふりおろした。また、民兵組織インタラアメは、ラジオが指名するツチ族系要人を直ちに現場で殺害することができた、という。
ルワンダでは、ジェノサイドを計画・指導・煽動した公権力(フツ族)は、敗走し、法の支配を強く希求する新政権(ツチ族)が代わって支配を確立した。ルワンダの国内裁判所が行為能力を欠くという理由で、ICTRが代替管轄を設定できるとすれば、それは、ルワンダ新政権への不信によるのではなく、内戦による司法組織の物理的崩壊による。
- (2)「人道に対する罪」(裁判所規程3条)
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新たに、監禁、拷問、強姦の項目が追加され、とくに「性的拷問」(sexual torture)が大きく取りあげられているのが特徴的とされる。ルワンダの虐殺現場では、例外なく強姦が伴い、さらに、農村部では 強要された近親相姦がツチ族の生活条件を破壊する意図をもって行われた。集団殺害を辛くも逃れた女性および子どもたちは、殺される以上に忌まわしい精神的社会的外傷を負わされている。
ルワンダ新政府は、1996年8月に、「1990年10月1日以降に行われた集団殺害罪または人道に対する罪の訴追組織に関する統治基本法第8/96号」を制定・施行し、その2条において、「性的拷問」を行った者を集団殺害の計画・組織・指導を行った者と同等の最も重大な犯罪者グループに分類し、死刑をもって処罰するとする。
この点、ICTR規程には、刑罰として死刑がなく、国内裁判所との関係で問題となっている。
- (3)「ジュネーブ条約共通3条」及び「第二追加議定書」(裁判所規程4条)
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ジュネーブ条約共通3条とは、締約国内で起きる内乱において、戦闘外にある者に適用される最低限の人道的待遇義務を定めた共通規定をいう。また第二議定書は、締約国領域の一部に実効的支配を行う反乱軍隊との間に起こりうる非国際的武力紛争において、戦闘外に置かれる者に適用されるべき最低限の人道的待遇等を定めた条約である。この共通3条と第二議定書の違反者が、「国際犯罪」として刑事責任を追及されるのは、初めてのこと。内乱が、本来は、一国の国内問題であることを考えれば、国際人道法の発展にとっては極めて画期的な出来事と評価される。
- ■設立と設置
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国連安保理は、1994年11月8日の決議955によってICTRを設立し、1995年2月22日の決議977によってタンザニアのアルーシャに設置することを決定した。最初の裁判官選挙に従って、裁判所は、1995年11月に
その任務を開始した。上訴審部(The Appeals Chamber)及び、検察局(the Office of the Prosecutor)は、オランダのハーグに位置し、副検察官は、ルワンダのキガリに位置している。
- ※<設立沿革>
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当初、旧ユーゴ国際裁判所(ICTY)の管轄権を拡張して、行う予定だったが、このままだと、単一の特設国際刑事裁判所に、常設司法機関の性格を与えるおそれがあるということで、ルワンダ国際刑事裁判所 (ICTR)が、分離設立されるとこととなった。ただし、旧ユーゴ国際裁判所と、上訴審部、主席検事の兼任制と手続・証拠規則が共用される。またICTYと同様、憲章第7章に基づく強制措置の一環であり、安保理の補助機関(29条)でもある。したがって、ルワンダの合意なしに、ルワンダの刑事管轄権をICTRに移譲させる権能をもつ。
- ■裁判所の構成
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裁判官は、国連総会によって選挙され、以下の裁判部に配属される。
- 【第一審部第1法廷(Trial Chamber I)】
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Navanethem Pillay (中央アフリカ);ICTR所長及び首席裁判官
Erik Mose (ノルウェー);ICTR次長,
Asoka de Zoysa Gunawardana (スリランカ)
- 【第一審部第2法廷(Trial Chamber II)】
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Laity Kama (セネガル); 首席裁判官,
William Hussein Sekule (タンザニア),
Mehmet Guney (トルコ).
- 【第一審部第3法廷(Trial Chamber III)】
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Lloyd G. Williams (ジャマイカ); 首席裁判官
Yakov Arkadievich Ostrovsky(露),
Pavel Dolenc(スロベニア).
- 【上訴審部(the Appeals Chamber)】
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Gabrielle Kirk McDonald所長 (米)
Mohamed Shahabuddeen次長 (ガイアナ),
Lal Chand Vohrah (マレーシア),
Rafael Nieto Navia (コロンビア)
Tieya Wang (中).
- 【検察官】
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Carla Del Ponte女史 (スイス)は、1999年8月11日、安保理により検察官に任命された。1999年9月15日より任務に着手。副検察官Bernard Acho Muna氏 (カメルーン)は、1997年4月26日に任命された。
検察官は、裁判所の管轄権内で捜査を行い、起訴を準備し、被告を訴追する。
- 【書記官】
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Agwu Ukiwe Okali氏 (ナイジェリア)は、1997年2月26日、裁判所書記官として事務総長によって任命された。書記官は、第一審部と検察官の任務のための法的・司法的サービスを提供し、裁判所行政と管理に責任を有する。
- 【予算と職員】
- 1999年国連総会は、ICTRに総計6,853万1,900米ドルを割り当てると決定。
83ヶ国を代表して688人の職員がICTRに勤務している。
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※<裁判所の機構分散の問題点>
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ルワンダの首都キガリの破壊は、想像を絶し、機構は分散して設置されざるをえなかった。
検察部のみキガリ、法廷は、隣国タンザニアのアルーシャ、上訴審部・裁判所本部は、オランダ・ハーグ、そして、安保理の決定はニューヨークと、分散し、犯罪人引渡しや身柄送致の手続の点で、面倒を残している。
- ■起訴と拘留者
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28の起訴状が48人の個人に対して発行されている。
係属中及び公判中彼らを拘禁しておくため、ICTRは、国連勾留施設をアルーシャ刑務所の建物内に設置、56部屋を有する。米国テキサス州に拘留されている1人の被起訴者を含めて、現在、合計38人の個人が、拘禁されている。
- ■判決 Judgements
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- ■証人 Witnesses
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28人の検察側証人と、13人の弁護側証人が、Akayesu事件で証言。27人の検察側証人と、14人の弁護側証人が、Rutaganda事件で、51人の検察側証人と、28人の弁護側証人が、KayishemaとRuzindanaの併合審理で証言している。Musema事件で、24人の検察側証人と、6人の弁護側証人が証言している。
「証人・被害者支援セクション」(A Witness and Victims Support Section)は、彼らが、弁護側・検察側のいずれに召喚されようと、すべての証人の安全を保障している。
- ■弁護団の割当て
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国際法標準にしたがって、被告人は、自ら選んだ弁護団を自由に保持することができ、それが不可能な場合には、裁判所によって弁護団を割り当てられる。後者の場合、全世界から、その弁護に関心を示した弁護団の名簿から選ばれる。
1999年9月9日時点で、52の被告側弁護団が、裁判所によって、勾留者に割り当てられている。すべての勾留者は、生活にこと欠いている旨主張し、裁判所に弁護団の割り当てを要求している。
これら割り当てられた弁護団は、裁判所から報酬を与えられる。以上52の弁護団のうち、23がヨーロッパから、14がアフリカから、15が北米からのものである。
- ■判決の執行
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1999年2月12日、裁判所書記官とマリ政府は、裁判所の判決執行のための拘置施設をマリが提供し、マリをその最初の提供国とする旨の協定に署名した。同様の協定が、1999年8月26日、ベニン共和国とも署名された。その他の協定は、現在交渉中である。
- ■最近の進展 Recent Developments
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- 1999年9月15日、Louise Arbour判事がカナダ最高裁に就任するためにICTR検察官を退任し、代わってCarla Del Ponte女史 (スイス)が、ICTR検察官に着任した。
- 1999年6月、Georges Anderson Nderubumwe Rutaganda とAlfred Musemaの公判が完了した。本件の判決期日は、まだ発表されていない。
- Lennart Aspegren判事 (スウェーデン)の任期が、RutagandaとMusema事件についての任務を完了できるよう、2000年1月31日まで延長された。
- ※<逃亡犯罪人引渡しの状況>
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97年7月ケニア警察に、ルワンダ集団殺害の主要容疑者が大挙して逮捕され、ICTRに身柄を引き渡された。カンバンダ元首相、ニイラマスウコ婦人家庭福祉相、サビマナ県知事、カビリギ将軍、タバクゼ司令官、ベルギー人ジャーナリスト・リュッギュ等。彼らは、明らかに極刑を回避し、自らの政治生命を生き延びる意図をもって逮捕されたと考えられる。
第1回年次報告では、ベルギー裁判所が身柄拘束・訴追したダヤムバエ、カニャバシ、ヒガニロに関する事件、スイス裁判所に係ったムセマ事件、カメルーンで身柄拘束されたバゴソーラ他について、ICTRが管轄権移譲を要請した。アメリカ・テキサス州に逃亡したタキルティマーナ牧師は、教会に避難した約1万人のツチ族系住民を、民兵を招き入れて殺害した容疑で、ICTRから米国に引渡要請されている。96年にテキサス連邦裁が身柄を拘束し、ICTRに送致予定だったが、弁護士ラムゼー・クラーク(元米国司法長官)がICTRの合法性を疑うと主張して上訴。このように、ルワンダ虐殺事件の容疑者は、世界中に広汎に逃亡し、身柄拘束・訴追の協力手続が必須のものとなっている。
- ※<ルワンダ新政府の対応>
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新政権は、この内戦で発生した集団殺害が、国際社会の一般法益を侵害する犯罪であるがゆえに、「勝者の裁き」によるよりも、国際刑事裁判によることが望ましいと判断し、部族融和のために、法の支配を教育するにも、国連による裁きが適当と考えた。外国に逃亡した主要犯人の捜査逮捕の便宜や、国内司法制度再建の難しさ(ほとんどの法曹関係者が虐殺された)も考慮して、当初は、ICTR設立に積極的に賛成し、安保理にその設置を要請した。にもかかわらず、94年11月8日、安保理決議表決において、ルワンダは反対投票した。その理由は、ルワンダ刑法が認める死刑をICTRの被告人は、いかに重罪であろうとも免れ、優越的なICTR判決の一事不再理によって判決が崩されなくなること、国内刑務所に6万人を超える容疑者が収監されている現実に対して、ICTRの構成が余りに小規模で、効率的な裁判や、模範的な法の支配をルワンダ国民に教育することを期待できないこと、ICTRが被告とする大臣、県知事、将軍クラスの被告人が死刑を免れ、その他の容疑者の多くが国内裁判で死刑にされているのでは不公平となり、これは新たな不処罰免責の制度となり、極めて大勢の犠牲者と遺族の償いを果たさないという。ルワンダは、統治基本法の適用によって、国内裁判を開始し、97年12月までに、304名の有罪宣告のうち、180名に死刑、103名に無期懲役、70名に無罪判決を下している。
今後、この国内裁判所による判決と、ICTRの判決が並行して執行されることの影響は図りしれず、ICTRの将来の明暗を分ける問題となると思われる。
- ◆「今日の一言」
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ルワンダ新政権がめざすものは、能力主義に基づき法の支配が行きわたった民主共和制社会の実現だ、といいます。
能力主義とは、個人の能力によって適正な社会生活が保障されるとする思想で、社会階層相互間の移動可能性を前提とします。西欧による植民地化以前のルワンダ王国は、15世紀来ツチ族を支配階層とする社会であったにもかかわらず、フツ族族長らは、ツチ族と部族紛争を起こすことなく、自然に部族協調が実現されていた、といいます。その理由は、ツチ族階層が、閉鎖的、固定的ではなくて、能力あるフツ族が大規模な牧牛群を所有するようになれば、ツチ族支配階層に社会参入を認められたから、といいます。
「常春の国」といわれたルワンダの能力主義社会構造は、ベルギーの植民地政策で喪失させられ、1960年代の植民地独立運動以降、人間の質の支配から、人間の単純な量による支配に落ちていった、といいます。この過程で、部族間の反目が助長され、人口構成比で劣勢となる英才少数集団ツチ族の受難、度重なる難民化が発生しました。その最初の子孫が、RPFを組織して、武力をもって、政策の是正と公権力の分有を獲得するに至った、とされます。
<参考文献>
日本語で、ルワンダ国際刑事裁判所について詳しく書かれている文献は、小長谷和高『国際刑事裁判序説』(尚学社)が唯一のもので、旧ユーゴ裁判所、常設国際刑事裁判所についても詳細にまとめられている好著です。本件記事も、本書に多くを拠っており、お勧めさせていただきます。
また、この1年ほどの動きについては、SUNの地域別インデックス「ルワンダ」 http://www.issue.net/sun/fields/rwanda.html にもデイリーハイライツが逐次追加されていますのでご参照ください。
次回のCommentaryは、「常設国際刑事裁判所」についてです。
(Jo)

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Updated : 2000/01/23
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