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アンゴラ情勢 index

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Map of Angola
アンゴラは1975年11月11日に独立しましたが、その前後からアンゴラ解放人民運動(MPLA)・アンゴラ解放民族戦線(FNLA)・アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)の三派が主導権争いを演じて衝突していました。しかもMPLAが、当時南アフリカ共和国の委任統治領であったナミビアの独立解放勢力・南西アフリカ人民機構(SWAPO)を支援していたため南アフリカ共和国がMPLAに対し武力攻撃を行い、この武力行使に対しソ連(当時)やキューバがMPLAを支援、これに呼応して合衆国も(周辺諸国の要請もあり)反MPLA勢力への支援を開始するという状況で非常に混沌としていました。

 1976年初頭にはMPLAが政権を樹立を宣言しましたが、南部を中心に国土の7割近くをUNITAが勢力下に治めるなど、対立解決の糸口はなかなか見つかりませんでしたが、1985年のゴルバチョフの「新思考外交」登場から米ソの協力関係を反映して1987年以降は積極的な解決へと国際社会側の対応が変化してきました。これをうけて1991年にMPLAとUNITAが包括和平合意が締結されます。これに基づき1992年に大統領選挙及び議会選挙が行われ、結果はMPLA側の勝利だったのですがこれをUNITAは「不正選挙」であるとし、再び武力闘争に戻ってしまったのです。選挙に向けて武装解除を進めていたMPLAは一時劣勢になりましたが、再び体制を立て直し反攻、1994年には再びの和平合意(いわゆる「ルサカ」合意)に達しました。しかしながらUNITAの武装解除が不充分であり、相互信頼が構築されているとは言えず、事態は改善しているとは言えません。
 当該地域にはダイヤモンド鉱山があり、政治的な対立だけでなく、資金源としての争奪戦の意味もあり、これが事態の改善をさらに困難にしています。

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